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大学時代・就職・リストラ その5

~リストラ~

平成7年の6月に肩を叩かれてこう言われました。
「君に辞めてもらわなきゃいけなくなった。」と。

主任になって、係長になって、課長になって12年間、1番出世を
目指し頑張っていましたが、ついに「辞めてくれ。」と言われました。

父親に電話をして「首になるので、家族4人(妻と子供2人)で
実家に帰るかもしれない。」と相談しました。父は、細々では
ありますが、電気工事の会社を3~4人で経営をしていました。
しかし、父親からは「帰ってきても困る。」と言われてしまいました。
ちょうど弟が1年前に帰っていて「弟にちゃんと仕事を教えてないから、
お前はもう少し福岡で頑張ってくれ。」と言われました。

会社からは首と言われて、父親からはもう少し福岡で頑張れと言われ、
どうしていいかわかりませんでした。


100105-01.jpg


私に首を宣告した上司が、「長崎の不動産デベロッパーで、マンション
販売の会社がある。そこだったら給料は同じ金額払ってくれると言っている。
もしかすると、ボーナスは今よりもいいかもしれない。お前は家族もあるし、
そこに移り頑張りなさい。ちゃんと根回ししているから。」と言って
下さいました。行き先まで見つけてくれて、良い上司でした。

しかし、2200万円を1400万円で売れという、とんでもない事をさせられた
思い出がトラウマになっており、もうサラリーマンはしたくないなと
思っていました。

12月まで会社に席はありましたが、11月初めぐらいまで働き、退社しました。
6月に首宣告を言い渡され、悩みに悩みました。
そして「私が社長だったら、人を騙すことはしなくていいのだ。」と考えました。

それからワンルームマンションを借りて、準備を始めました。コピー機とFAXは
友人に借り、印刷機は購入。電話は新規で契約。机と椅子を入れたら、お客様
1人がやっと入れる狭いマンションの1室。18平方メートルぐらいだったと思います。

不動産業を始めるためには、不動産業者免許が必要。その資格を所有していた
人との出会いがあり、その人に肩書き上、代表者となってもらい、私は
営業部長として不動産業を始めました。


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独立しようと決めたのですが、当時お金もなく、始動できたのが今でも不思議です。
いろいろな準備をして12月を迎えました。2200万円を1400万円で売る事をさせられ
なかったら、上司に紹介してもらった会社に移っていたと思います。

最近は、さまざまな知り合いにこの話をしますが、「それでよかったんじゃないの?」と
感想を頂きます。今となってみれば、その時思い立ってよかったと感じています!



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コメント(2)

2009年5月2日の大濠の物件はまだ空いていますか?

普通、安きに流れたり、家族が有ればそれにしがみついたりすると

思うのですが、やはり働く意味を真剣に考え、お父さんの言われた

とおり自分でなんとかするという退路が断たれたところで決まった

のではないでしょうか。凄い話です、感動しますね、この話は。

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