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「私の相撲道」 八角信芳親方 後編

8月7日15時から博多都ホテル宴会場にて、博多法人会青年部会
夏季研修会が行われました。


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今回の講師は、元横綱北勝海の八角信芳親方でした。

昨日のブログでは、八角親方の生い立ちや現役時代の
事を書きました。今日のブログは、その続きになります。

華々しい現役時代…。
しかし、良い時ばかりではなかった。
腰痛が激しく休場。3場所連続休場。だが、八角親方は
負けなかった。全身アイシング。190度の冷蔵庫に入って
筋肉を刺激する。その後リハビリ。階段上り2時間。
他にウエイトトレーニング。腹筋背筋1000回。これを2ヶ月半
頑張った。12月の寒空で、プールも泳がせられた。
キツイ日々だったが「地道に良くして行こう!」と思う日々。
どの相撲取りよりもトレーニングはしていると思っていた。

そんな時、同じ部屋の先輩横綱 千代の富士は53連勝していた。

平成元年正月場所、初日に高熱をだしてこの場所も休場と
思っていたが、昭和天皇崩御で相撲の開催が1日伸びたので、
熱も下がり出場することとなった。初日、お客様から
「待ってたぞ北勝海!」と言われた時は、心から嬉しかった。
14連勝して優勝。これで、引退してもいいと思った。
しかし、優勝パレードに出た時「まだやりたい!」という思いが
心から込み上げた。優勝し、千秋楽がたまたま月曜日。銀座が
空いていたので、相当に盛り上がった。それから、4回も優勝を遂げた。

その年の7月場所。千代の富士との横綱同部屋対決があった。
しかし、個人的なことも考えたが、無心で戦った。
稽古場では、何回も戦っていたが、この時は、無心で戦った。
しかし、惜しくも負けはしたが、横綱として、十分な強さを
発揮して優勝を重ねていった。

1992年の5月、初日、2日目と負けて、3日目同期の寺尾に負けたら
引退しようと決めていた。親方から「休場しろ!」と言われ、
引退を考えていたが、マスコミには「死ぬ気で頑張ります!」と
言った。次の場所も、親方から休場しろと言われた。
「5日なら頑張れるが、15日は無理です!」と答えたら、
「じゃ、引退だ!」と言われ、引退を決意した。

そして、八角部屋の親方へ。
八角部屋の親方になって17年。57人の弟子がいる。
しつけは大切。ダメな時はキチンと教育している。
マスコミで大きく報道された相撲部屋弟子死亡事件が
あった年も、八角部屋へは9人の新弟子が入ってきた。

弟子にキチンとわからせねばならないと思う時は、長時間
とことん理解できる様に話す。
相撲部屋では、入門し新弟子検査を受け、相撲を取りだすと、
給料をもらう。その給与の税金を払わなければいけないが、
分からず納税をしていない子もいる。そういう事も教育している。
学校に行かなかった子が入ってきた。教育は大変だな~と
思っていたが、入門してからは真面目に稽古をしている。
このように入門後、いい方向に変わる子もいる。
そういう新弟子を育てることも楽しみの一つ。

八角親方の「芝生のある家を買う」という夢は無事に叶い、
とっても嬉しく思っていると話す。
八角親方は「今後「凄い力士」ではなく、「好かれる力士」を
育てていきたい。また、弟子が幕の内に上がり、活躍する事は
とても嬉しい!」と心から語っていた。


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この日の八角親方の講演は、心に響く、素晴らしいお話でした!


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