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「私の相撲人生」錣山矩幸親方(元関脇寺尾)

8月1日(金)17時より博多都ホテルで、
博多法人会青年部会の夏季研修会が行われました。

この日の研修会は、「私の相撲人生」
錣山矩幸親方(元関脇寺尾)の講演でした。
講演内容がとても勉強になったので、ブログにて紹介したいと思います。

錣山親方は父(前井筒親方)と兄、次兄(現井筒親方)との相撲一家。
家の教育は厳しく、親方であり父親のお父さんには、
何かある度に殴られるのはいつものこと。

実弟でありながら、相撲部屋の子弟関係そのものが家庭にある状況だった。
体も大きく、相撲部屋の子息だった錣山親方からは全く想定できないのですが、
小学校、中学校と気が弱く、ずーっといじめられっ子だったそうです。

ずっといじめられていた同級生にケンカをするぞとしかけられ、
決闘の日、150人ぐらいのギャラリーの中、10対10の喧嘩。
体が大きいい親方が、相手の親分を一発殴ったら、
よっぽど痛かったらしく、相手がビビって謝ってきた。
それが、親方の自信につながった。

しかし、大勢のギャラリーが居たため、警察が来て、捕まったしまった。
家に帰り、父親に叱られると思ったら、
「お前、喧嘩に行ったのか?喧嘩は1対1でしろ!」と笑いながら言われた。

中学3年生の時、安田学園から「相撲部に来ないか?」と誘いがあった。
当時の安田学園相撲部は全国ベスト8に入る強さだった。
しかし、錣山親方は腕立て伏せもしたことがなかった。
誘われたので、安田学園に入ったが、相撲部員の中で一番弱い部員だった。
入ったからには、相撲部屋の息子のプライドがありメチャクチャ頑張った。

高校2年生の時、お母さんが亡くなった。
その時、錣山親方は高校を中退し、相撲部屋(井筒部屋)に入ることを決めた。
二人の兄は快く受けとめてくれた。

問題の父親(当時の井筒親方)は、今までにない、一番いい笑顔で
「おっ、そうか!」と言ってくれた。

昭和55年7月に入門。
入門してからは、稽古と太ることに専念した。
よく食べた。特にご飯と肉。

朝稽古その後、ご飯をどんぶりに8杯食べて、昼またご飯を5杯。
トレーニングジムに行き、その後、とんかつと豚丼4杯。
それから、ヨーグルトとバナナ。
寝返りをうつと、食べたものを吐いてしまうので、
タンスによっかかり、仰向きで就寝する毎日。
2ヶ月で16キロ太った。

60年3月新入幕。
それからは、“ツッパリの寺尾”とウナギ登りに人気がでて、
兄弟で三賞を同時に取った。
兄弟で、同時に関脇、と相撲界では逆鉾(次兄)と寺尾の兄弟は、抜群の人気だった。


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しかし、平成3年3月場所から、この兄弟よりも人気ある兄弟が出てきた。
若貴兄弟の出現。
貴花田(後の横綱貴乃花)が10日目曙を破り、
11日目は寺尾(錣山親方)と対戦することになった。

貴花田は18歳。寺尾は28歳。
その時、「勝ったら、新聞の一面は俺だ!」と思った。
負ける訳がない。
貴花田取組の時、土俵上では、貴花田は大きく見えない。
寺尾は、「これは勝てる!」と思った。「間違いなく勝てる!」と感じた。

時間が来て、立会の瞬間、貴花田の体に触れたとき、
寺尾は「勝てないと思った。」
簡単に負けてしまった。
土俵でサガリをたたきつけて、タオルもたたきつけた。
退場の際、花道でも、くやしくて、もう一度サガリを叩きつけた。
食事ものどを通らない。酒も飲めない。

相撲協会には、負けた寺尾の態度が悪いと苦情が殺到。
寺尾は「貴花田には勝ちたい!」と心から思った。
11年間幕の内で相撲をやったが、「思い出の取り組みは?」と聞かれると、
一般的に勝った相撲を言うのだが、錣山親方は貴花田に負けたこの取り組みと言う。
それぐらい、凄くくやしかったのだろう。
貴花田には勝ちたいと思った。
その後、貴花田に6回は勝った(20数回は負けたが・・・)。

34歳で足の指を骨折。4週間入院。
大阪でケガをしたので、そのまま大阪の病院へ入院。
一般的には、これで引退と皆は思ったらしく、
大阪寺尾後援会に60人は居たはずの後援者も見舞には来ず、
ある友人が土産も持たずに1人だけ来てくれた。
同期生の北斗海だった。

見舞いに来るなり「お前良かったな・・!」と言うのである。
どう言う意味かと言うと、相撲観戦に来ているお客さんに
ケガをさせなくて良かった言うのである。
それから、もう一度、土俵に上がろうと決心。


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十両から幕の内に上がり、もう一度ケガをした時に、
今まで勝ち負けの事しか言わなかった息子さんに
「体を大事にしてね!」と言われた時、引退を決意した。

引退後、錣山親方を襲名し、1年間井筒部屋付きの親方を経験し、
錣山部屋を設立。
現在も、後進の指導をしている錣山親方ですが、
「部屋に入ってきた子供(弟子)の一生を守ってあげることができる!」
「子供(弟子)のために死んであげれる!」といつも考え、
「怒るときも真剣に!」をモットーとしている。
相撲を途中でやめていく子供(弟子)の仕事の面倒もみている。
子供(弟子)とは、一生付き合うことが親方の使命と考えている。

今からは、角界の親方もノイローゼになるのではないかと思っている。
しかし、自分のやり方で子供(弟子)を育てて行きたい。

また、大相撲28年の人生で誇れるものは、
「人と言う財産があること」と錣山親方は言う。


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