~会社と私自身が生まれ変わった、ある人物との出会い~

営業範囲を決め、エリア外の物件は扱わないと決めました。
地域を絞り、中洲で働く人達にお客様を絞り、取り扱う商品を
中洲および中洲近辺の賃貸物件に絞る【ランチャスター経営】の
顧客戦略に取組みました。

営業範囲を自転車で回り、社員手分けして2500軒以上の
店にチラシ配りを定期的に行ないました。すると売上げが
確実にアップしてきました。
その推移は以下の通りです。

1998年 1200万
1999年 2700万
2000年 4500万
2001年 6000万
2002年 8000万

と、順調に売上げを伸ばすことができました。
ここまで、順調に売上げを伸ばすことができたのも、営業エリアを
決断したことがきっかけですが、あともう一つ重要な出来事が
ありました。それは、「矢頭塾」です。

自然食品を真心で通心販売をしている株式会社やずや
創業者の矢頭宣男(やず・のぶお)氏が、開催していた経営塾
「21世紀生き残りセミナー」に参加しました。1998年10月、この
「矢頭塾」への参加が、大きな転機となりました。事実、この
半年後には売上げが倍以上になりました。「矢頭塾」に参加して
いなければ、今日の業績もありえなかったと言っても言い過ぎ
ではありません。

矢頭さんの話に、全身に激痛が走るほど衝撃を受けました。
「年収1000万円も取れない社長は辞めろ!」と言われた時は、
頭が真っ白になるほど叩きのめされた気がしました。
それまで、自分の年収目標はおろか、会社の年間目標や
月間目標すら決めずその日暮らしの経営者でした。
「将来の目標をたてて、それを年間・月間・週間・毎日へと
落とし込んで行動すれば、必ず実現する」と、矢頭さんが
言ったことは、今でも忘れることはできません。
矢頭さん自身が、その通りに大きくなってきたから、迷わず
素直に矢頭さんの言う通りにやってみようと決心しました。
この時に学んだ、経営計画書づくり、朝礼の仕方、地域に根を
おろす 地域情報誌「月間ゴジタ」の発行など、全て矢頭さんの
マネをし、アドバイスしてもらいながら始めました。
 

「その地域になくてはならない不動産会社としての地位を
築く」と誓い、
ランチェスター経営の地域戦略と合わせて
活動してきました。地域になくてはならない、地域に根ざした
不動産会社として認知してもらうために、中洲に引っ越して
きました。そして、中洲地域の行事・PTA活動に進んで
参加するようにしました。また毎年、博多町が熱く盛り上がる
「博多祇園山笠」という歴史と伝統あるお祭りにも参加しています。
中洲という地域で生活する人達と触れ合う中で、人情の温かさを
肌で感じています。

 

~地域ナンバーワンの不動産会社になる~

営業活動する範囲を限定した中に、博多には西日本一の
歓楽街として有名な【中洲】が含まれています。
この中洲の現状を少しお話します。

現在、中洲では約2700店舗の飲食店がひしめいています。
この店舗のうち、年間20%は入れ替わります。現在では
およそ1400の店舗さんは営業しています。
当社では、この中洲エリアで今では70%から80%の物件
取り扱うまでになりました。この中洲という地域に根をおろして、
地域ナンバーワンの不動産を目指し活動してきて、この3・4年
前から、根本的なことに気がつきました。

それは…
中洲という街が賑わい活性化しないことには、福一不動産も
成長できないという事実です。

2002年の1年間に中洲では、190店舗が新しく開店し、220店舗が
閉店しました。潰れてしまう店舗が多いのです。
少しずつですが、中洲からお客様が遠のいている現状があります。
その理由として、不況による交際費・接待費が減ったということも
ありますが、その他にも原因があります。

今まで、西日本一の歓楽街・中洲というブランドにあぐらをかいて
サービスの質が、低下していると感じます。コンパニオンの人件費を
削減するために、コンパニオンの派遣を利用しているので、教育
レベルが低く、接客レベルが低下している状況にあります。
 
私達は不動産の賃貸業務を商いとしていますが、私達のお客様
(貸主さん)が繁盛しないことには、全く意味がないのです。中洲で
開業している飲食店さん達が繁盛していない、つまり利用する
お客様が少ない。いずれ飲食店の経営が苦しくなり倒産して
しまいます。倒産していく飲食店の数が目立つようになると、中洲
という街そのものに人が集まらなくなり、その結果、中洲で開業する
魅力がなくなり、お店を始めようとする私達のお客様が減ってしまう
というマイナスのサイクルが出来てしまうのです。

この悪循環を断ち切るには、中洲で飲食店の商売をしている
人達が繁盛すれば、一気に問題解決です。