11月2日、博多経友会は今回で100回を迎えました。
記念講演は「100年の素心」石村萬盛堂 石村善悟社長でした。

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石村萬盛堂は、1905年に創業して105年を迎えます。

100年続いた石村萬盛堂は、特段の運の強さをもっています。
ついている事が、第二次で回対戦の時に1年半は仕事を
していませんでした。商業疎開をさせられたのです。
なんとついていないことか…と考えました。しかし、疎開を
している間に福岡が空襲に合い、須崎一帯は焼け野原に
なり、たくさんの方が亡くなりました。誰も亡くなることの
なかったことを、運がよかったというのは大変不謹慎な事
だったので、祖父も父も「神仏のご加護をいただいた」と
言っていたそうです。

鶴乃子という商品
「鶴乃子」という素晴らしい商品に出会えた事。
マシュマロは、森永製菓さんが全国をまわって
製造方法を伝えていました。石村萬盛堂さんは、最初
たまごの殻にマシュマロを入れて作っていました。

心の伝承
創業者の思いを感じながら、経営が出来ること。

つきの管理
「つき」は管理できるものなのです。良いつきに
出くわすことを考えて出来るのです。「ついている人」
「良い人」ととことん付き合っていく事です。

東郷平八郎の話もそうなのです。
日本連合艦隊の大将に任命したのです。しかし、周りは
納得しなかった。大将になれなかった人は、どうしてなのか?と
くってかかった。山本権兵衛海軍大臣が「東郷は運の良い奴
だから、この人日本を任せるしかないのだ!」と言った話です。

仕事もあまりぱっとしない奴だか、あいつに任せると、
良く売り上げるという人は居るものです。

石村萬盛堂より10倍の年商の会社が、去年の11月から
11店舗を福岡に進出してきました。それも、ボンサンクの
すぐ横に出してきたのです。

しかし、良い場所にはお店を出すもの。真横に出され、
売り上げが25%落ちてしまいました。しかし、石村社長は
それに感謝しているそうです。
皆で必死に対応方法を考え、対応策を実行しました。
それが良い影響になり、昨年の売上げを10月に上げた。
社員とやった対応策は、先方の強みや弱みを徹底的に
研究していきました。

顧客の分析をやって行ったのです。また、各店舗も徹底的に
やったのです。競合がきた事によって、パッと目が覚めたのです。
自分たちにとって不都合なことが起こっても、「ありがとう」と
言えることが大切なのです。

また、素直なことが大切なのです。高橋直子は監督の言う事を
なんでも聞いていました。とことん付き合うことがよかったのです。
ツキは、素直なところから生まれるものなのです。

シュワリと言うお店を百貨店に出しました。シュワリと言う名前は、
「守・破・離」という言葉を上手くもじって、名付けました。

ヤクルトレディの真似をして、今、石村レディを育成しているそうです。
お客様事情がわかる営業社員を考えたのです。ある石村レディは、
お客様の年中行事を把握して、仕事を取ってきているそうです。
今はそんな時代なのかも知れません。

心の伝承の二つのありかたがあります。言葉を仲立ちにした
体験の共有があるものです。石村社長の結婚式で最後の
あいさつを、父親が体調を悪くして話せなかったのです。
石村社長は「なんで体調管理をしてなかったのですか?」と
問いただしました。しかし、お父さんは「「惜福」という言葉を
知っているか?」と言いました。立派な結婚式だったので、
みんな羨むものです。すこし、悪い時があった方が良いのです。
良い結婚式だったけど、お父さんがね…と言う。その方が
良かったのではないかと言いました。
その方が良いものなのです。

莫妄想について
石村社長は19才の時に大失恋をしたそうです。その時、父親が客間に
呼び「この軸が読めるか」と聞いたそうです。莫妄想、という軸でした。
「まくもうそうたい。」と答えると「そうたい、莫妄想たい。」と
言って、部屋から出ていったそうです。

莫妄想とは元寇の時の話で、元の使者がやってきて降伏を勧める。
この対応に悩む執権時宗が無学祖元に教えを請いに行った。
無学祖元は一言「莫妄想」と怒鳴りとばした。大変大きな言葉です。
「妄想する無かれ」
私は経営者として、決断を一旦したら迷わずやっていく時に、この
言葉が思い浮かびます。本当にありがたい言葉を頂いた、と話され
ました。

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終始、穏やかな雰囲気の講演会でした。ご来場された方達も、
真剣に話を聞いていらっしゃいました。

石村社長、素晴らしいお話しをありがとうございました!