9月6日19時30分から、IPホテル2階宴会場にて
博多経友会が開かれました。

本日の講師は、合資会社若竹屋酒造 林田浩暢
社長でした。

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元禄12年に創業。それから続いている若竹屋さん。
初代伝兵衛が創業して、14代目の社長です。
忠臣蔵の時代に産声をあげた作り酒屋さんです。

紅乙女は38年前に立ち上げた焼酎会社です。
全国で販売する大きな会社になりました。

林田さんは、醸造一家の家に生まれました。
お受験をさせられました。しかし、受験は
今まで一回も通ったことはありません。
地元の有名高校を受けるように言われました。
しかし、林田社長の偏差値では受かるはずも
なく、日田の商業高校に行く事になりました。

ある日、両親が喧嘩をしていました。
林田社長の出来の悪さを言い合っているのです。
また、父親が「あいつは、人生の日陰の道を
いっている」と聞き捨てならない話をしているのです。

地元では有名な作り酒屋と、秀才の父親に対して、
林田社長はコンプレックスを感じていました。
高校を卒業して、東京に行きたいと決意しました。
そして、田舎を逃げだすように出て行きました。
大学は夜学。東京の生活を謳歌しました。

ある時、若竹屋さんが東京のデパートでお酒の
試飲販売をやることになりました。そのイベントを
アルバイトでやらないか?言ってきました。
仕送りをして頂いているし、店に為になるので
あれば…と思い、やることにしました。

しかし、1日目は声が出せません。
2日目は下を向いて声を出しました。
3日目は少し大きな声を出したら売れました。
4日目は筑豊弁でやってみました。大きな声で「この
酒は、うまかですばい!」とやってみました。すると、
九州の方が寄ってきて、どんどん売れていきました。
5日目。たまたま、ラベルが曲がったお酒をお客様に
渡した瞬間、田舎でやっている行程を思い出しました。
酒屋で頑張っているアルバイトのおばちゃんや、
杜氏さんの顔などが走馬灯のように浮かんできました。
そして、自分が経済の流れの一部を担っているように
感じました。
6日目最終日。あるだけの在庫を販売してしまい、
売るものがなくなりました。売るのが楽しくなっていた
林田社長は、青森のリンゴを売ってみました。
「このリンゴはうまかですばい!」と言ったら、
筑豊弁なのにバンバン売れていきました。

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こうして、アルバイトは終わりました。
そして、買って頂いたお客様からお礼状がきたのです。
「このお酒に出会ってよかった」という文章なのです。
「お酒により、喜びや楽しみを得ることができる」という
ような内容でした。そして、西武百貨店に就職しました。
たくさんの楽しい仕事をさせて頂きました。