起業 前編起業 中編の続きになります。

ある時、地元のマンションデベロッパーから「古川さんは、
営業力に自信があるのでしょ?新築マンションの販売代理を
しませんか?」という話がきた。
以前、マンションデベロッパーで、新築のマンションを売る
仕事をしていた私は、そういった話がきた事を嬉しく感じた。

新築マンションの販売用のパンフレットは、私が配っている
中古マンションのチラシよりも、もちろん立派。室内の
きれいな写真や外観図が入っていて、間取り図も立派だ。
そして、そのパンフレットには『販売代理 福一不動産』と
入れてくれるというのだ。パンフレットに会社の名前が
あるだけで、素晴らしいと思った。中古のマンションや、
債権物件を売っていた私にとっては、ありがたいと感じた。
「我社もでかくなった。嬉しい!」と思った。

今思えば、パンフレットに社名が載っただけで「まだ儲かって
もいない」のに…。当時ウキウキで、そのマンションの現状
分析など何にもしなかった。売れるかどうかもわからないのに、
売れたら貰える手数料が、素晴らしいにんじんに見えたのだ。
一人でやっている私に任せるという事がどんな事か、全く
わかっていなかった。

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受けた新築マンションは、東区のはずれ。当時は車で1時間
以上かかるところ。往復で2時間以上。マンションデベロッパー
から新築を請負って、心はウキウキ。しかし、請けてみて
気づいたのだが、マンションはもう完成しているし、総戸数
70戸で残り30戸ぐらい。半分は売れ残っていた。売り出しから
1年以上経っていて、デベロッパーもどうやって売ればいいのか、
実は悩んでいたのだ。

請けてはみたものの、平日は全くといっていいほど、お客様は
来ない。その頃、私と妻とパートで雇った経理の女の子と3人で
会社を運営していた。販売代理を受けてからは、平日は経理の
女の子が現場待機。新築マンションの現場へ直行してもらい、
お客様がもし来た時は接客してもらう。お客様が来ない時は、
経理の仕事をしてもらう。平日、私はご来店頂いたお客様まわりや
受託物件探し。妻は、賃貸の業務で忙しくしていたので、現場は
パートの女の子任せ。本陣(事務所)にも、お客様がたまに来る
ので、現場へは行けない。女の子を現地へ送り、妻と私は事務所が
ある川端で仕事をしていたのだ。

今思えば「陣」が2つ。それも販売物件から車で1時間と遠い陣。
例えば、バスケットは5人1組のスポーツ。どれだけ上手な人が
2人いても、5人のチームと試合をすれば負ける。不動産屋でも
同じ。3人の不動産屋でも、お客様のご来店があれば大変。
それをわざわざ3人を東区のはずれと、川端とで2つの陣に分け、
業務を分散しながらやっていた。2陣を3人でやるのは、どう
考えても難しい。万一お客様が来ても信用をなくすのが目に
見えていた。

しかし、当時はその事に全く気がつかなかった。土日に行って
いたオープンルームはやめて、私は新築マンションの現場待機を
していた。マンションの地域住人の皆さんは、これまでにも
何回ものチラシや新聞広告で、このマンションの事は詳しく
知っていて、土日であってももう来店してくれない。マンション
デベロッパーは、それでもチラシや広告を入れてくれた。しかし
来店は、一日に1組来れば良いほう。オープンルームも止め、
この新築マンションに全てをかけた私たち。
しかし、売り上げは落ちるばかり。売れ残りのマンションだが、
パンフレットに会社の名前が載る。それが嬉しくて始めたがダメ。
半年間それに賭けてみたが、全然売れなかった。

その時は悩んだ。自分に対して「馬鹿が独立して…」と、何にも
考えずに「人を騙す仕事はしてはならない!」と格好よく独立
したが、考えが甘かった。

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不動産会社を開業したら、電話はいつでも取らなければならない。
いつ何時、管理物件の入居者から漏水などで電話が掛かって
くるのかわからない。事務所にいない時は私の携帯へ転送して、
電話をとっていた。電話が鳴ると、物件を案内したお客様かも
しれない。車を運転している時も、寝ている時も、掛かってくる
電話には全て出る。気がおけない毎日。
もちろん休みなんてない。朝早くから現場へ行き、現場待機。
夕方から客宅へ訪問。必死にクロージング。毎日仕事が終わって
帰るのは23時以降。日付が変わってから帰宅する事もしばしば…。
寝る暇も惜しんで働いたが、収入にならない。信用はない。金も
ない。信頼して仕事を任せる社員もいないし、雇えない。自信も
ない。挙句の果てに、円形脱毛症の人を追い出す仕事をして、
なんとか稼いでいた。

「新築のマンションの販売を請けたが全然売れない。どうしたら
いいのだろうか。父親に電話してもあまり経営のことは教えて
くれない。」と毎日思い考えた。子供はまだ小さく、小学1年生と
幼稚園の年長。妻も仕事を必至に手伝ってくれたが、まだまだ
子供に手が掛かる時期だった。自宅へ23時過ぎに帰ると、子供は
泣いていて、妻は仕事で疲れ、子供に食事を作るのがやっと。
妻は椅子に座ったままその場で寝ていた。こんな生活を続けていた。