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古川隆物語


古川隆物語 1

古川 隆

 

 ~天国と地獄(バブル全盛時代とリストラ宣告)~

私、古川隆(ふるかわ・たかし)は、 宮崎県延岡市出身に
なります。1985年大学を卒業後、大阪の大手マンション
販売会社に入社しました。
バブル全盛時代には、毎年の慰安旅行はハワイ旅行でした。
また、ある時は遊園地を借り切って全社員2000人以上参加
しての大パーティを開催したり、夜は高級クラブの接待、休みは
ゴルフ三昧。まさに天国のような生活が続いた時期でした。
 

ところが、ご存知の通りバブルが崩壊し、状況はガラっと一変。
いきなり売上げが前年から激減。さらに会社の不祥事が続発し
業績は留まることなく下降一途をたどっていくことになります。
そして、今でも忘れもしません、1995年11月。ついに会社より、
上司より私に「肩たき」つまりリストラ宣告を突きつけられました。
業績が悪くなる中で、昨日2200万円のマンションを、今日は
1400万円で売らざるをえない。
そういった会社の指示は、お客様に対する裏切りに近い商売だと、
疑問が拭えませんでした。雇われたサラリーマンでは、同じような
ことになってもどうしようもない。お客様との信頼関係を大切にした
商売をするには、これはもう自分でやるしかない!と、独立を
決意しました。

退社後、知人がオーナーの休眠状態にあった不動産会社
「福一不動産」に社員として入社したのが1995年12月。
事務所は小さなワンルーム・マンション。コピーやFAXは
知人から譲リ受け、事務机や電話などを含めても開業資金は
一人暮らしの引越し並に押えることができました。

1997年に営業権を買取り、私自身が代表取締役となりました。
まったく経営ド素人の私の奮闘はここから始まります!

■関連動画:福岡の社長.com 「古川 隆インタビュー」

 

~お客様は事務所の半径500mにいた~

自分で始めた2年間は、前の会社時代と同様のやり方を
やっていました。他社のマンション販売代理店になり、仕事が
あれば距離や地域を問わず営業活動を展開していました。
しかし多数のエリアで取引をしたところで、次への継続性は
ほとんどありません。また福一不動産への馴染みや信用が
生まれにくいと感じていました。

そういった効率の悪さを実感していた時、1997年10月に
ランチェスター経営の竹田陽一氏が開催している経営
勉強会に参加しました。そこで、地域戦略の重要性を知り、
地域密着型の営業に取組むことを始めました。正直言って、
営業活動範囲を事務所から半径500mの地域に限定
するのに不安は隠し切れません。
 

しかし、この地域内の物件を見回ってみて、ビル名、所有者、
部屋数、空き部屋情報などを徹底して独自に集めてまわり、
さらに競合他社の割合を分析してみると市場規模は12億円
以上もあり、しかも競合する他社がほとんどいません。
競合する他社がいなかった理由というのは、エリアに
西日本一の歓楽街「中洲」が含まれているからです。
移転率の高さや夜の商売特有のトラブルが多く、商売に
ならないと考えていたからでしょう。


このエリアで徹底して掘り起こせば、この地域で
ナンバーワンになれると考えました。